JETHRO TULL - FAQ
JETHRO TULL / ジェスロ・タル とは?
スコットランド出身の奇才Ian Anderson(イアン・アンダーソン)を中心に英国で1968年に結成され、ロックに大胆にフルートを導入したことでも知られる音楽集団です。現在でも精力的に活動しています。
JETHRO TULLのリーダーは?
Ian Andersonは何年生まれか?
1947年です。日本では1937年という説がまことしやかに語られていますが、インタビューアがジョークを真に受けたのが発端だと思われます。
Ian Andersonには別の顔があるって?
スコットランドで養鮭業の経営を行っており、大変成功した実業家でもあります。もっとも今では経営の一線からは退き、音楽活動をメインに据えています。
JETHRO TULLの音楽のジャンル・特徴は?
一言で言うとフルートを導入したロックミュージックです。また、ブリティッシュ・トラッドやジャズ、クラシックなどなど、幅広い音楽性を包含しているのも大きな特徴です。特にブリティッシュ・トラッドへの傾倒が目立ってます。
一般にプログレッシヴ・ロックに分類されることが多く、確かに変拍子を多用したテクニカルな演奏を得意としてはいますが、いわゆるプログレ的な音楽性を志向しているのは数多いアルバムの中でも数作に過ぎません。
JETHRO TULLの代表作は?
TULL最大のベストセラー、1971年の「AQUALUNG」(全英第4位/全米第7位)とされています。確かにこのアルバムにはJETHRO TULLのエッセンスが見事に詰まっており、バンドの代表曲も入っていますが、制作に十分な時間が取れなかったためメンバーはアルバムの出来に不満が残っているようです。
作品としての傑作は、1972年の「THICK AS A BRICK / ジェラルドの汚れなき世界」(全英第5位/全米第1位)や1973年の「A PASSION PLAY」(全英第13位/全米第1位)、1977年の「SONGS FROM THE WOOD / 神秘の森〜ピブロック組曲」(全英第13位/全米第8位)が挙げられることが多いですね。特に「THICK AS A BRICK」は多くのファンが最高傑作と評しています。
JETHRO TULL(ジェスロ・タル)ってどういう意味?
17〜18世紀に実在した英国の農学者の名前です。自動種まき機の発明等で農業革命に大きく貢献した人物です。
デビュー前のJETHRO TULL(バンドの方)は名前を変えながら音楽活動を行っていました。演奏が下手だったため同じ名前ではライヴハウスをブッキングできなかったためといわれています。たまたまJETHRO TULLという名前のときに有名になったので結局この名前にした、といわれています。
なお、JETHRO TULLという名前を提案したのは、Dave Robson(デイヴ・ロブソン)というスタッフでした。
JETHRO TULLに在籍した有名なミュージシャンは?
初代ギターリストのMick Abrahams(ミック・エイブラハムズ)は脱退後、BLODWYN PIGを結成しました。英国では成功した部類に入るブルースロックバンドです。
そのAbrahamsの後任として、BLACK SABBATHがメジャーになる前のTony Iommi(トニー・アイオミ)が短期間ながら在籍していたこともあります。
U.K.解散後のEddie Jobson(エディ・ジョブソン)も在籍していました。
ブリティッシュトラッドロックの大御所、FAIRPORT CONVENTIONとは人的交流が盛んで、Dave Pegg(デイヴ・ペグ)、Dave Mattacks(デイヴ・マタックス)、Martin Allcock(マーティン・オールコック)がTULLの一員だったことがあります。
意外なところでは、ツアーのみですがDon Airey(ドン・エイリー)が参加していたこともあります。
なお、Steve Howe(スティーヴ・ハウ)やDavy O'List(デイヴィ・オリスト)が在籍していたという話は正しくありません。(2代目ギターリストのオーディションに参加しただけ)
JETHRO TULLのデビュー作は?
一般に1968年にMGMからリリースした"Aeroplane""Sunshine Day"のカップリングシングルとされています。これはJETHRO TOEという名義で発売されました。電話でバンド名を伝える際に聞き間違えられたためとされてますが、一説ではプロデューサーのDerek Lawrence(デレク・ローレンス)がJETHRO TULLというバンド名を気に入らず勝手に改めたともいわれています。
Lawrenceは、後にDEEP PURPLEの"Hard Road"という曲名を"Wring That Kneck"に勝手に変えたりしているので、ありえない話ではないでしょう。
ちなみにDerek LawrenceはCANDY COLOURED RAINという名前が希望だったらしい・・・
"Aeroplane"は実はJETHRO TULLの前身、JOHN EVAN BANDのレコーディングで、厳密にはJETHRO TULLのものではありません。"Sunshine Day"はJETHRO TULLのレコーディングですが、Mick Abrahamsの曲で、リードボーカルも彼です。Ian Andersonがこのシングルにあまり触れたがらないのはこの辺が理由ではないでしょうか。
アルバムとしてのデビューは、1968年の「THIS WAS / 日曜日の印象」(全英第10位/全米第62位)です。
グラミー賞を取ったというのは本当?
1987年の「CREST OF A KNAVE」(全英第19位/全米第32位)が第一回ハードロックヘヴィメタル部門を受賞しました。下馬評ではMATALLICAかBON JOVIといわれていたのでヘビメタオタクは騒然としましたが、グラミーとしてはTULLの長年のキャリアに経緯を表してということらしいです。もっともヘヴィメタルは米英ではカルト音楽とみなされているので、スケープゴートにされたような気がしないでもないですが。
あえてJETHRO TULLの駄作を挙げるなら?
特に海外のファンから評価が低いのが、1980年の「A」(全英第25位/全米第30位)です。多くのファンがこのアルバムで離れ、TULLは1969年の「STAND UP」以来米国で連続で取っていたゴールドディスクを、このアルバムで逃しています。
1984年の「UNDER WRAPS」(全英第18位/全米第76位)はドラムマシンを導入したシンセばりばりのサウンドがファンの賛否両論を呼びました。
1970年の「BENEFIT」(全英第3位/全米第11位)や1979年の「STARMWATCH / ストームウォッチ〜北海油田の謎」(全英第27位/全米第22位)、1992年の「CATFISH RISING」(全英第27位/全米第88位)も低く評価されることがあります。
To Be Continued ...
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