All compositions written by Ian Anderson
Ian Anderson sang and played acoustic guitar and flute
Martin Barre played electric guitars
John Evan played piano and organ
Jeffrey Hammond-Hammond played bass guitar and string bass
Barriemore Barlow played drums and percussion
Arrangements for orchestra written by David Palmer
Conductor: David Palmer
Recorded and mixed somewhere in Europe by the Maison Rouge mobile studio
PRODUCED BY IAN ANDERSON
私的アオリ
1974年前後を境にして、黄金のブリティッシュ・ハードロック/プログレッシヴ・ロック時代はその勢いを失ってゆく。アメリカナイズした挙句ファンが離れてしまったり、ポップ化したり、リリースに長いインターバルを置くようになったり、メンバーがやる気をなくしたり、ただ単に飽きられたり・・・とにかく、往年のバンドの多くが失速していった時期である。
JETHRO TULLにも変化が見られた。本作のリリース時には相次ぐツアーに疲れ、メンバー間の関係はギクシャクしたものになっていたのである。
バリー・バーロウは、イアン・アンダーソンとその他のメンバーの軋轢の間に立つ役目に辟易していた。アンダーソンと最も関係が良好だった旧友ジェフリー・ハモンドは、音楽業界から足を洗う決心をしつつあった。
1975年にリリースされ、全英第20位/全米第7位を獲得した本作は、そうしたメンバー間のコミュニケーションの無さが音楽面にモロに表われている作品といえる。本作は歴代TULLのスタジオアルバムのうち最もアコースティックなアルバムである。だがそれは、アンダーソンの原曲をメンバー間でほとんどブラッシュアップできなかった結果と言えないだろうか。また歌詞も内省的になり、自身も認めているが、リーダーのイアン・アンダーソンまでもが実際疲弊しきっている中で制作されたのが本作である。
ところがところが、そこは全盛期JETHRO TULLの凄いところ!アヴァンギャルド性は衰えることなく楽曲のクオリティの高さも相変わらずなのだ。
レコーディングに先立ち、グループは移動スタジオ"メゾン・ルージュ"(Maison Rouge / フランス語で‘赤い家’の意)を手に入れていた。これはこのころTHE ROLLING STONESやFACESが所有していたものと同種のものと思われる。非常に高価で、当時世界に数台しかないといわれていたものである。STONESらの移動スタジオと同様、他のバンドに貸し出されていたようだ。
レコーディングはこれを用いて主にモンテカルロで行われたようだ。
アンダーソン自身を主人公になぞらえたと思われる1(Minstrel in the Gallery/天井桟敷の吟遊詩人)は、バンドの代表曲のひとつとなった。アコースティックパート→ギター中心の間奏→エレクトリックパートと流れてゆくが、散漫な印象がないでもない。特に間奏はすでにライヴにてマーティン・バーの見せ場としてプレイされていたもので、無理やり入れ込んだ感じがする。ベスト盤ではエディトされて収録されている。
4(Requiem)以降はアコースティック曲が並ぶ。
大作の6(Baker St. Muse)は7(Grace)まで含めて実質一つの組曲を成している。この曲もほとんどがアンダーソンのアコギ弾き語りを中心にアレンジされている。アコギプレイもボーカルメロディもとにかく秀逸な名曲で本作の最大の聴き物といえる。
ボーナストラックは全て「20周年ボックス」でリリース済みのもの。ほとんど触りでしかない11(Minstrel in the Gallery (Live))、12(Cold Wind to Valhalla (Live))あたりを入れるくらいなら、エンハンストで75年パリでのライヴ映像を入れるとか工夫がほしかった。。。
本作リリース後、遂にジェフリー・ハモンドはバンドを脱退、夢だった画家への道を進む。バンドは、前座を務めていたCARMENのベーシストで、バリー・バーロウと懇意でありバッキングボーカルも取れるジョン・グラスコックを加入させ、リズムセクションを鉄壁の布陣とするのである。